けっこう大人になってから、母によく「あなたは好きなように生きていていいわね」と言われていました。昭和の初めの頃に生まれた専業主婦で、姑との同居をしていた母からすれば、私は自由奔放に見えたのかもしれません。
確かに、私は自由に生きています。私から自由を奪うということは、池の鯉を陸に上げるようなものかもしれません。占い師によると私は「自由の塊」であり「時間の観念がない」のだそうです。スピリチュアルな方からすると「そのままあるようにいけばいい」と言われ、後ろにいるよ、という人からは「思うようにあれ」と言われたり。
先日、不思議なことがあったのです。
皆さんもこんなこと、あると思うのですが。
亡くなった人とお話したくなること、ありませんか?
私はよくあります。生前、それほど話すこともなかった母と急にお話がしたくなったり、いつも楽しい話を聞かせてくれたあの紳士とお話がしたくなったり、芯が強くて憧れてたあのご婦人と話したくなったり。それは他愛もないことばかり。
ある日「あの人が喜びそうなレストランを見つけてもいないから一緒に行かれない」とつくづく思うことがあり、話したいこともあるのに、聞きたいこともあるのに、とつい愚痴のようになり「もう!」と少しふてくされたことがあったのです。
その数十分後、知らない番号から着信が残っていました。留守電を聞いてみると、なんと私が朝、会いたいのに、話したいのに、と文句を言った方のご遺族の方からでした。その後、私はご遺族の方とやりとりをして、まるで本人と話をしているかのような感覚になりました。素敵なお話も聞けて、私はすっかり満足。
その方が、今はもうこの世にはいないのに、なんとか連絡を取ろうとしてくれたようで、嬉しかったです。そして、少し泣けました。
近々、ご遺族の方と会う約束をしたので、じっくりその方の思い出話も出来そうです。
思ったことが現実になるのは、私にとってよくあることです。
考えをまとめるよりも先に実現していたり、これはなんのハプニングかしらと思えば、願っていたことに繋がっていたり。
昔よりも、ずっと形になるのが早くなった気がします。
わからないこと、助言が欲しいことも、私は人ではなくあちらの世界にいる人たちに尋ねてみます。すると、実に素早く歴然とした回答がやってきます。もしかして、質問する必要もなくね?くらいの早さです。最近では、こちらが準備しようとした質問の体を成す前に回答が来ます。やや、かぶせ気味なやつです。
こんなことを言うと、私は不思議ちゃんに見えることでしょう。いや、私は不思議ちゃんではないのですけど、ひょっとしたら私の中にも不思議ちゃんがいるのかもしれません。
形のあるものより、形のない物の方が信じられることがあります。それは、たぶん皆さんも経験しているはずです。友情や愛情は形がないけれど、信じられるものの一つです。上手に言えないけど、心の中にある純粋で混じりけのない思いというものは、時を超えて場所を超えて、伝わるのだと思います。
まぁ、こういうことを私は自分のオリジナルソングで書いたのですけど、作詞のベースは般若心経だったりします。いつかまた、どこかで披露したいと思います。
とりとめもなくなってきたので、今日はこのへんで許してあげる。