2017年12月1日金曜日

私の中の不思議ちゃん

けっこう大人になってから、母によく「あなたは好きなように生きていていいわね」と言われていました。昭和の初めの頃に生まれた専業主婦で、姑との同居をしていた母からすれば、私は自由奔放に見えたのかもしれません。

確かに、私は自由に生きています。私から自由を奪うということは、池の鯉を陸に上げるようなものかもしれません。占い師によると私は「自由の塊」であり「時間の観念がない」のだそうです。スピリチュアルな方からすると「そのままあるようにいけばいい」と言われ、後ろにいるよ、という人からは「思うようにあれ」と言われたり。

先日、不思議なことがあったのです。

皆さんもこんなこと、あると思うのですが。
亡くなった人とお話したくなること、ありませんか?

私はよくあります。生前、それほど話すこともなかった母と急にお話がしたくなったり、いつも楽しい話を聞かせてくれたあの紳士とお話がしたくなったり、芯が強くて憧れてたあのご婦人と話したくなったり。それは他愛もないことばかり。

ある日「あの人が喜びそうなレストランを見つけてもいないから一緒に行かれない」とつくづく思うことがあり、話したいこともあるのに、聞きたいこともあるのに、とつい愚痴のようになり「もう!」と少しふてくされたことがあったのです。

その数十分後、知らない番号から着信が残っていました。留守電を聞いてみると、なんと私が朝、会いたいのに、話したいのに、と文句を言った方のご遺族の方からでした。その後、私はご遺族の方とやりとりをして、まるで本人と話をしているかのような感覚になりました。素敵なお話も聞けて、私はすっかり満足。

その方が、今はもうこの世にはいないのに、なんとか連絡を取ろうとしてくれたようで、嬉しかったです。そして、少し泣けました。

近々、ご遺族の方と会う約束をしたので、じっくりその方の思い出話も出来そうです。

思ったことが現実になるのは、私にとってよくあることです。
考えをまとめるよりも先に実現していたり、これはなんのハプニングかしらと思えば、願っていたことに繋がっていたり。
昔よりも、ずっと形になるのが早くなった気がします。
わからないこと、助言が欲しいことも、私は人ではなくあちらの世界にいる人たちに尋ねてみます。すると、実に素早く歴然とした回答がやってきます。もしかして、質問する必要もなくね?くらいの早さです。最近では、こちらが準備しようとした質問の体を成す前に回答が来ます。やや、かぶせ気味なやつです。

こんなことを言うと、私は不思議ちゃんに見えることでしょう。いや、私は不思議ちゃんではないのですけど、ひょっとしたら私の中にも不思議ちゃんがいるのかもしれません。

形のあるものより、形のない物の方が信じられることがあります。それは、たぶん皆さんも経験しているはずです。友情や愛情は形がないけれど、信じられるものの一つです。上手に言えないけど、心の中にある純粋で混じりけのない思いというものは、時を超えて場所を超えて、伝わるのだと思います。

まぁ、こういうことを私は自分のオリジナルソングで書いたのですけど、作詞のベースは般若心経だったりします。いつかまた、どこかで披露したいと思います。

とりとめもなくなってきたので、今日はこのへんで許してあげる。

2017年5月24日水曜日

メンクイと鎖骨を考察する

恋は私の鎖骨くらいどこにあるかわかりません。
探しても探しても、姿を現してはくれません。

ひょっとしたら、そもそも恋や鎖骨は存在しないんじゃないか。もしかして、恋も鎖骨も雑誌やテレビが作り上げた虚像なんじゃないか。あなたの恋も、私も鎖骨も、山崎まさよしのOne more time, One more chance状態なんじゃないのか。

そんな馬鹿げた気持ちが膨らんでは萎み、膨らんでは萎んでいます。

ことの発端は、私の友人になかなか恋人ができないとぼやいていたことから始まります。比較的出会いの多い職業である私は、恋の出会いも本気になればいくらでもありそうな気がします。でも、彼女のように毎日同じメンツ、同じ場所、同じ時間帯で生活していると、おのずと出会いは少なかろうと思うのです。

彼女は恋を、私は鎖骨を、自分の環境から見つけ出すのが難しくなっています。

ところで、ずいぶん前から私が唱え続けている『メンクイに幸なし』というマイ格言があります。私の経験則上、メンクイの女性は須らく幸福を取り逃しているように思えるのです。

恋は私の鎖骨くらい見つけるのが難しいとは言うものの、素敵な男性からお誘いがあっても、メンクイの人はそれを断ったりするのです。「顔が好みじゃない」という理由で!!喉から手が出るほど欲しいはずの恋のチャンスかもしれなくても!!これが鎖骨への誘いだったら私、迷わず飛び込んでいるところです。

信じられません。顔がなんぼのもんじゃい。

そういう人は、きっとお父様やお兄様などのご家族に顔の整った方がいたのだと思うのです。私がメンクイでない理由も、私が眼鏡男子が好きな理由も、父にあると思っています。

父は、幼い私の小さな社会の中で初めて認識した異性であり、唯一の異性でした。父は眼鏡をかけています。私にとっての異性は、最初から眼鏡とワンセットだったのです。つまり、私は心のどこかで眼鏡をかけていない男性を「何か足りない異性」と認識している恐れがあります。さらに言えば、私は小さなころ、父はハンサムでありカッコイイ人だと思っていました。これについては今もって謎ですが、恐らく環境に関しての自己肯定がひじょうに強い子供だったのだと思います。

そのおかげで、私は多少顔がアレでも、別にそのことがその人にとっての落ち度だとは思わないのです。というか、眼鏡の方が重要なんです。それも、近眼の眼鏡がいいんです。ケント・デリカットみたいなのは同じ眼鏡男子でもちょっと違うのです。むしろ、仲本工事みたいに眼鏡で目が小さくなってしまっている方が正しい眼鏡男子に思えてなりません。

メンクイに話を戻しましょう。

メンクイの人は、相手に整った顔立ちを要求しているので、必然的に出会いのハードルが高くなってしまいます。そのハードルを下げたら、もしかしたら出会いの数は飛躍的に多くなるかもしれないのです。

これが鎖骨なら、何かのハードルを下げたところでいっこうに手に入らないのですから、顔のスペックを下げるくらいやったっていいと思うのです。

メンクイに幸なし、と言いました。
彼女たちが理想通りの顔の男性と恋愛が成立するのはとても困難ではありますが、可能性はゼロではありません。そんな難しい状況からの恋愛ですから、手に入れた時は多少クズでもヒモでもそれを手放す気持ちにはなれないでしょう。私も、もしも立派な鎖骨を手に入れたら修行僧のように食事をしなくなるかもしれません。双方、それが幸福なのかどうかはさておき。

もしかしたら、メンクイという執着から解き放たれた時、本物の出会いがあるのかもしれません。私も、鎖骨に対する執着を捨てたら、こんなところに鎖骨があった!なんていう発見があるのかもしれません。

ちなみに、私の友人はメンクイではありませんが、大江千里さんじゃないとどうしてもダメみたいで、それはそれでピンポイントすぎて私の鎖骨どころの話ではありません。

以上で、私のメンクイと鎖骨の考察を終わりにしたいと思います。
ご精読、ありがとうございました。


2017年5月12日金曜日

ストレスについて

皆さんはストレスとどうお付き合いしていますか?

多くの人はストレスなしの生活など現実的なこととは思えないようです。ストレスのない私にだって、ストレスに感じることはあります。でも、たぶんそれはものの数分でなくなってしまいます。ストレスフリー。これはカロリーフリーくらい魅力的な言葉です。ストレスフリーの第一人者といえば、間違いなく私の父なのですが、ストレスフリーな人は周囲にストレスを与えるので注意が必要です。

江戸っ子は宵越しの金は持たないと言いますが、私は宵越しのストレスは持たない、というマインドで生きています。意識をしているわけではありませんが、私の場合、眠るとたいていのストレスは味が薄くなります。何日かかかることもあるけど、眠った数だけストレスはどんどん薄口になります。

いつまでも怒ってたり気にしていたりするのは執着です。執着をせずにいるのは難しい人もいるかもしれませんが、不幸なことに執着をしても自分の幸福はそこにはありません。

この執着の話なのですが、子供のころ、父が持っていた般若心経を読み解く本みたいなタイトルの本をこっそり拝借して読んで知りました。執着から解き放たれると、とっても自由になる、みたいなことが書いてあったと記憶しています。

子供のころに読んだその本の影響で、私は「執着を解き放とう!」というマインドが形成されました。そして、執着しないマインドの私は自由を手に入れ、周囲から「自由すぎるよ」と注意されるのであります。ハッ、私も父と同様に周囲にストレスを与えていたのでは…。今頃気が付くなんて…。

私の場合、毎日同じ職場に行くわけではありませんし、毎日同じ人間関係の中で濃密な一日を過ごすということもないので、そういった固定の場所や人に対するストレスがない、というのが宵越しのストレスを持たないことができている理由なのかもしれません。

ただ、私は、自分の生命力を脅かすようなストレスからは直ちに逃げるべきだと思うのです。逃げていいと思うのです。そこにいるのを止めていいと思うのです。自分を不幸にするものはあっさり手放すに限ります。でも、それができないこともあるでしょう。その時には、私がお話を聞いてあげましょう。私じゃ嫌ならお話しできるお友達に。話してしまうとモヤモヤが薄らぎます。ストレスの味が薄くなります。

例え話として、最近私が感じたストレスを書こうと思ったのですが、恐ろしいことに全然思い出せません。ストレスを忘れるというよりは、もっと大切なものまで忘れてしまっている父がよくやるアレに似ているような気がします…。

まぁ、とにかく私が強くストレスを感じた日は、必ず酔っぱらうことにしています。一人で酔っぱらうこともあるし、誰かと飲みに行くこともあるし。お酒でダメダメになった自分から復帰しようとするときの、あの吐き気と深酒への後悔が私の次の行動へのバネとなるのです。次の行動を起こしたら、その結果にしか興味がありません。だから、その時感じたストレスは過去のものとして清算されてしまっているのです。

あくまでも私の場合、ですけどね。

そういえば、ずっと昔に、仲の良かった女の子がフラれてしまったことがありました。「フラれちゃった」とぽろぽろ泣くその子に私は「じゃ、飲みに行くよ!」と誘いました。でも、その子は下戸でお酒が飲めないのです。それでも私は彼女を酒場に連れて行きました。当時はそんなにお金もなかったので、美味しい割には安いみたいな居酒屋だったと思います。そこで、彼女は美味しいおつまみとデザートを食べ、ジュースを飲み、私は勢いよくお酒を飲みました。飲めない彼女の代わりに私がたくさん飲むことにしたのです。そして私はものすごく酔っぱらって、帰りに気持ち悪くなって、電柱の脇の草むら辺りにゲーゲー吐きました。彼女は私の背中をさすりながら「大丈夫?」と心配な顔。そんな彼女の心配顔を見ていたら、この状況がとても滑稽なことのように思えて、二人で大笑いしたのを覚えています。その後、どうやって帰ったかは覚えてないのですが、翌日、二日酔いのさなか、彼女からメールがありました。

「なんか酔っぱらってボロボロになった おぬき を見てたら、フラれたことなんてどうでも良くなっちゃった!なんかあんがと!」

いろいろ複雑でしたが、彼女が元気になってくれて良かったです。あの頃の私は自虐で人を救えるか、がテーマだったのです。考えてみたら、私にはその都度いろいろなテーマがありました。今でもあります。今はダイエットです。「こんなに食べても痩せられたよ!」って言いたいんです。

頑張ります。

あ、これはストレスの話のはずだったのに。

2017年4月20日木曜日

恋愛事情

恋の季節です。

まぁ、これは主に北半球の人口にとっての現象であって、南半球はお別れの季節なのかもしれません。

爽やかな風が湿り気を帯び、前髪が上手にまとまらないこの季節。
誰かのためにきれいにしたくて、前髪を異常に気にしていたあの頃。
未熟で不器用だった私。

いつの間にか諸々達者になり、恋愛に悩むことがなくなりました。

悩みそうになればそれを上手に手放し、のめり込みそうになれば気持ちに折り合いをつけ、そんなことを繰り返していくうちに、私は恋愛マスターとして君臨し、日夜恋に悩む男女の吐息を聞いているわけで。

恋の歌を唄う者がこんなんでいいんでしょうか。

今日みたいな気持ちのいい風が吹いていると、私がまだ恋愛トレーニング中だった頃のことを思い出します。

片思いの思い出です。

私はその人に夢中でした。あの頃の私は、今よりもっと正直でまっすぐで、向こう見ずでおよそ優雅からはかけ離れた女の子でした。ちなみに、その頃の私の体重は38kg。Cカップ女子でした。

その頃の私は「しない後悔よりもする後悔」を全面的に押し出していました。今でもそのままなんですが、あまり長いことこの精神で生きているので、もはや後悔すらしない境地に至っています。

私はその人に「あなたが好きです!」と真っ直ぐに気持ちをぶつけます。するとその人は

「いやいやいやいや、勘弁してください」

というのです。以下、その方と繰り返した会話の一部です。

「あなたが好きです!」
「いやいやいやいや、勘弁してください」
「そこを何とか」
「いやいや、幸せになってください」

私はなんとか彼に振り向いてもらおうと、いろいろと画策しました。とにかく、一緒に過ごす時間を作り上げ、自分を知ってもらおうと一生懸命でした。今思えば、この時の経験から私の恋愛作戦技術が飛躍的に向上したように思います。

私はその人との飲み会を定期的に設定していました。二人だと断られてしまうので、必ず複数人で飲んでいました。そして、得意の話術で惹きつけ、うっかり終電を逃すという事態を上手に招くのです。

そして、上に書いたような会話が繰り返されるわけです。
フラれても撃沈しません。ほとぼりが冷めるのを見計らって、また飲み会にお誘いするのです。時には私は不参加のふりをして、現場に到着すると私がいるという奇襲攻撃に近いこともやっていたと思います。

私がその人に恋をしていることは、周囲では有名な話でした。

ある日のことです。その日の夜、私はその人との飲み会を控えていました。就業ベルが鳴るのを今か今かと待ち、気合い十分の空気感を放っていました。周囲の人たちはみんな私の恋を応援してくれていました。私は今日の気合いを職場の先輩たちに宣言しました。

「私、今日こそキメます!」

その声を聞いて、職場の先輩(男性)が素早く立ち上がります。

「おぬき、これを持ってけ!きっと役に立つ!」

先輩は一枚のコピー用紙を私に手渡しました。
私はそれを一読し、唇をかみしめ、力強く頷きました。

「ありがとうございます!頑張ります!!」

手渡されたコピー用紙は『都内ラブホマップ』のコピーだったのですが、マップには蛍光ペンで先輩一押しホテルに大きな丸が付いていました。先輩からの大きなエールを胸に、私はその紙を握りしめ、恋という戦に立ち向かいました。

いつものようにうまい具合に相手を会話で惹きつけ、まんまと終電を逃します。

「あああ、もう終電ない。また終電逃した」

というその人に私は言い放ちます。

「とにかくタクシーに乗りましょう!」

そして、あれよあれよという間に彼をタクシーに押し込み、私も隣に乗り込みます。飲み会に一緒に来ていたメンバーはタクシーの窓越しに旗を振って応援してくれています。

「どちらに行かれますか?」

そう聞くタクシーの運転手さんにすかさず都内ラブホマップを手渡し、

「運ちゃん、ここにお願いします!」

「お!?はい!わかりました!!」

私の勢いに、運ちゃんもすっかり私の味方です。
隣から、「ひ~…」という小さな悲鳴が聞こえてきます。しかし、もう遅いのです。恋という船は後戻りしないのです。

……結論から言うと、ここまでしてもまたフラれるわけですが、それからも私は全然気にせずほとぼりが冷めれば彼にアタックし続けていました。

やがて、彼がお見合いをして結婚が決まったという報告を受け、私の恋は見事玉砕するわけですが、その時の心境は完全にやり切った感があり、切ないというよりはむしろ清々しい気持ちでした。

この恋での私のテーマは『ここまでやってもダメなら仕方ない』でした。私は見事にそれを体感しました。やり切れば人は後悔などしない、という経験の元、私は今に至ります。だから私は未だにダイエットをしているのです。まだまだやり切っていません。

長くなりましたが、結局何が言いたかったかというと、数々の恋愛を経験し、今はガンジーみたいな境地にたどり着いたよ、ということです。

ということで、恋愛相談があればどうぞお気軽にワタクシまで。

2017年3月31日金曜日

お久しぶりです

最近、幼少時代がよく思い出されます。

恐らく、小さいころから興味があったことを改めて確認しているからだと思います。こうした自己分析はとても大切な作業だと思っています。

幼い頃、私はとても不思議な赤ん坊でした。これを言うと「オカルトだね」と言われるのですが、私の子供時代の記憶は2歳からあります。私はおむつは2歳の時に卒業したのですが、その前後のおトイレの練習やおむつが取れた日のことを覚えています。それより前の記憶も断片的ですが、覚えています。ベビーベッドに寝っ転がり、天井から下がるガラガラが回らなかったことを思う記憶があります。

もっと赤ん坊だった頃は、怖いという概念のない時期だったにもかかわらず、風でカーテンがふわーっと動く様にぎゃん泣きしていたそうです。

そんな私が一番最初に興味を持ったのがお絵かきでした。起き抜けに「えんぴちゅ」と母にねだって、描くものを与えられると「もうおしまい」と言われるまでひたすら描き続けていたそうです。

それと同時に、私の興味は音楽に向けられます。記録に残っているのが私2歳、姉6歳のころの歌。まだ声帯もちゃんとしてなくて赤ちゃんの声なのですが、姉に必死になってついていきながら歌っている私の録音があります。その頃の私の記憶は、早くスラスラと一曲完成した形で歌いたい、ということでした。もちろん、難しいことはわかってませんが、最初から最後までちゃんと通して歌える、ということにとっても憧れたのです。

その思いは今でも同じです。

素敵な曲に出会うと、その曲を最初から最後までちゃんと歌詞を記憶して歌いたいって思います。そうすることで、好きな時に好きなようにその歌を自分の中から引っ張り出して歌えるからです。ピアノもどこでも好きなように伴奏できるように演奏できたらいいなって思っていたら、少しずつ演奏できるようになってきたのです。

大好きな曲は、歌いながら永遠に終わりが来なければいい、と思います。ずーっとリピートして歌えたらいいのにと。ピアノを演奏していても、それが何時間でも疲れを感じません。何曲歌っても、疲れた~って感じないのです。今まで、一晩のステージで最高40曲近く歌ったことがありますが、その時も幸福感が勝っていて、疲労感を感じませんでした。翌日、妙に体が筋肉痛にはなっていましたけど。あれは、心地よい疲労感でした。

と、何やら自分語りをしてしまった久しぶりのブログ。

4月はパソコンの前に座ることが増えそうなので、ブログも少しは更新できるかな?