2011年12月5日月曜日

洒落た紳士の言い逃れ

仲良しのライブハウスのママが、たいへん妄想上手で羨ましい。

ある日、いつもより幸せそうな彼女にその理由を尋ねると、素敵な男性が自分のためにコーヒーを入れてくれていることを妄想したら、とっても幸せになれた、おぬきさんも妄想を始めたいい、と言われた。

私は妄想を始めるとどうしてもネガティブな妄想になってしまうのだ。私の山仲間の先輩もそうだった。ある日の登山帰り、ふもとの駐車場からバスが出発するとき、隣に座る先輩がいきなりブルブルと激しく首を振った。どうしたんですか?と尋ねると

「さっき、駐車場の仮設トイレに入ったんだよ。山のトイレは汚いのが当たり前だろ?それを考えてたら、妄想が進んで、便器の中から***がヒルみたいにバババーッと俺に襲いかかる…と想像してしまったんだよ。いやー、震えるよなー」

そりゃあ、震えますね、と同意をしたのだが、私も同じく、妄想がネガティブになりがちだ。

私の恐怖の妄想は、ライブのステージ上で**が***して、*****することなのだが、ネガティブレベル9くらいの強烈なものなので、ここには記さないでおく。

先日、ネガティブレベル1の妄想が現実となった。
それは、男性しかいない会場でドレスのファスナーが上がらなくなるという妄想だ。

まさかの瞬間だった。

いつもなら上がるはずのファスナーが上がらない。
息を吐いて、お腹を引っ込めて、再度チャレンジしても全然無理。

このお店は初老の紳士達が手抜きなしのホスピタリティで客をもてなしてくれる元赤坂の名店。辺鄙な場所でもへっちゃら、いつも満席のフレンチレストランだ。

ここのスタッフは、全員男性なのである。
そして、本日の共演者は男性ピアニスト。

困った…。

誰に助けを乞うか。
このうら若き乙女の玉のような肌を見せつけて、何も感じない男性はいないだろう。きっといないさ。いないはずに違いない。よしんば何も感じなかったにせよ、何か心に残るものはあるだろう…?いや、そういうことではない。今はこのピンチを乗り切らなくてはならない。ネガティブ妄想レベル1が現実になったのだ。さぁ、どうする!?自分!?

私はドレスのファスナーを中途半端に上げたままそっとホールを覗いた。

今日も満席の当店では皆さんとっても忙しそうだ。

そこにお店のマスターがやってきた。彼はこのお店のオーナーであり、年長者であり、筋がね入りの紳士である。

「マスター!ちょ、ちょっとお願いしたいことが…」

私は手招きをしてマスターを女性の個室へ呼んだ。
マスターは不思議そうに「何か不都合でも?」という表情だ。

私は思い切ってマスターに背中を向けて「ファ、ファスナーを上げて下さい!」とお願した。するとマスターはガッテンいったという顔をしながら

「俺はファスナーは上げるんじゃなくて下げるのが得意なんだよー」

と言って頑張ってくれたのだが、やはり無理。ピアニストを呼んでこようと、個室にピアニストが呼ばれた。彼は私のこの手の現場は2度目。前回の神の手によって救われた私のファスナー事件のときも現場にいた人なのだ。

「のり~!お前またかー!!」

と罵られ、彼もファスナーにチャンレンジ、しかし、その直後。

「指が痛い。俺、ピアニストだからダメ。お前はこのまま出ろ」

ガーン…。はい…、このまま出ます。皆さんには上手に背中を隠すことにします。いいえ、太ったんじゃないんです。お昼についうっかり食べすぎちゃったんです。我慢できなくてついかき揚げ天ぷらを3つも…。

「何やってんだよー…」

とピアニストもあきれ顔。すみません…。
でもでも!1ステージ終わったらファスナーは絶対上がるから!!1ステージ終わるごとにどんどん痩せるから見てて!!

と言い逃れをし。本番前、トイレに用を足しに行くたびに「痩せてきます」と宣言し、ステージが始まる前にも「痩せますから」を連発し、1stステージは終了。ファスナーはといえば、自力で余裕で上げられるほどいとも簡単に上がりました。1ステージでかき揚げ3つよ、さようなら。なんて燃費が悪いんでしょう。

その後、休憩のたびにマスターから「男はファスナーを上げるんじゃない。下げる方が専門なんだ」と教え込まれ、その日の名店の夜は更けていったのでありました。

おしまい。