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2018年6月7日木曜日

野菜と私

お誕生日のプレゼントにミキサーを頂きました。

「これで野菜ジュースを飲んで本気で痩せてください!」というメッセージだと受け止めました。これまで、野菜ジュースと言えば市販の物かあるいはニュー新橋ビルのベジタリアンというオバタリアンがやっているジュースバーで強力な野菜ジュースを飲み干すかどちらかでした。出作りの野菜ジュース(スムージー)をこの手で作る日がやってくるとは…。

好奇心旺盛の新しいもの好きの私は、さっそく近所のスーパーで野菜ジュースになりそうなお野菜を買いに行きました。案外ジューシーで美味しいと信じているのは人参です。人参を買いました。あとは小松菜でしょうか。定番ですよね。しかし、今までジュースの材料などという視点で買い物をしていなかったせいか、今まで目につかなった野菜に気が付きました。『ケール』です。青汁とかによく入っている、あのケールです。ケールがスーパーで買えるなんて、どれだけ便利な世の中なのでしょうか。自宅に戻り、さっそくジュースを作りましたが、いろいろ欲張り過ぎてジュースというよりは赤ん坊の離乳食みたいにもっさりとした仕上がりとなり、コップだと無理だったのでお椀に入れてレンゲで食べました。

最近ではすっかり手慣れてきて、手作り野菜ジュースを飲むことが習慣となってきました。毎日、ケールや人参、小松菜、冷凍ベリーミックス、アボカド、パセリ、プチトマト、水、塩、オリーブオイル等を入れてミキサーにかけます。ギュイーン!モーターの音と共に、野菜が木っ端みじんに砕けて液状になっていきます。色は入れる野菜によって違いますが、だいたいゲ■かウン◆みたいな色なので、小さなお子様にとっては恐怖の飲み物以外なんでもないことでしょう。でも、私は大人なのでへっちゃらです。色より中身なのです。それは、ハンサムな見た目より心でしょう?というアレに似ています。ようは本質なのです。本質にしか興味がないんです。そういうことです。

野菜ジュースを飲み始めて気が付いたことがあります。

それは、なんか調子がいい、ということです。

そもそも、私はとても健康です。
頭痛持ちでもないし、だるいとか日中眠いとか、ポンポン痛い痛い系でもありません。いつもなぜか快調です。いろいろ事情があってスーパーボールのように弾けるように動き回るという肉体でもないですが、とても快調です。

でも、手作り野菜ジュースを飲むようになってから、不調があったわけではないので説明に困るのですが、なんか調子がいいんです。気分上々というかB'zのUltra Soulといか、むしろこれはドリカムの嬉しい楽しい大好き状態というか。

こうなってくると声の調子も異様に良くなってきます。小鳥のように歌う私を誰かつかまえてベイビー。

やはり、野菜も命あるもの。
そのエネルギーをたくさんいただくということが”なんか調子いい”に繋がっているのでしょうか。それとも、野菜には計り知れない酵素のチカラでもあるのでしょうか。いずれにせよ、野菜のチカラが私にすごいんです。言うなればこれは、

Vegetables raise me up

ということになりましょうか。You raise me upを唄う際には”You”の部分に”Vegetables”という気持ちをしっかり込めて歌いたいと思います。

追伸;

最近、会うたびに「痩せたね」と言ってくれる方々がいるのですが、その頻度で痩せているとなると、そろそろ私はガリガリになってるはずです。

2017年12月1日金曜日

私の中の不思議ちゃん

けっこう大人になってから、母によく「あなたは好きなように生きていていいわね」と言われていました。昭和の初めの頃に生まれた専業主婦で、姑との同居をしていた母からすれば、私は自由奔放に見えたのかもしれません。

確かに、私は自由に生きています。私から自由を奪うということは、池の鯉を陸に上げるようなものかもしれません。占い師によると私は「自由の塊」であり「時間の観念がない」のだそうです。スピリチュアルな方からすると「そのままあるようにいけばいい」と言われ、後ろにいるよ、という人からは「思うようにあれ」と言われたり。

先日、不思議なことがあったのです。

皆さんもこんなこと、あると思うのですが。
亡くなった人とお話したくなること、ありませんか?

私はよくあります。生前、それほど話すこともなかった母と急にお話がしたくなったり、いつも楽しい話を聞かせてくれたあの紳士とお話がしたくなったり、芯が強くて憧れてたあのご婦人と話したくなったり。それは他愛もないことばかり。

ある日「あの人が喜びそうなレストランを見つけてもいないから一緒に行かれない」とつくづく思うことがあり、話したいこともあるのに、聞きたいこともあるのに、とつい愚痴のようになり「もう!」と少しふてくされたことがあったのです。

その数十分後、知らない番号から着信が残っていました。留守電を聞いてみると、なんと私が朝、会いたいのに、話したいのに、と文句を言った方のご遺族の方からでした。その後、私はご遺族の方とやりとりをして、まるで本人と話をしているかのような感覚になりました。素敵なお話も聞けて、私はすっかり満足。

その方が、今はもうこの世にはいないのに、なんとか連絡を取ろうとしてくれたようで、嬉しかったです。そして、少し泣けました。

近々、ご遺族の方と会う約束をしたので、じっくりその方の思い出話も出来そうです。

思ったことが現実になるのは、私にとってよくあることです。
考えをまとめるよりも先に実現していたり、これはなんのハプニングかしらと思えば、願っていたことに繋がっていたり。
昔よりも、ずっと形になるのが早くなった気がします。
わからないこと、助言が欲しいことも、私は人ではなくあちらの世界にいる人たちに尋ねてみます。すると、実に素早く歴然とした回答がやってきます。もしかして、質問する必要もなくね?くらいの早さです。最近では、こちらが準備しようとした質問の体を成す前に回答が来ます。やや、かぶせ気味なやつです。

こんなことを言うと、私は不思議ちゃんに見えることでしょう。いや、私は不思議ちゃんではないのですけど、ひょっとしたら私の中にも不思議ちゃんがいるのかもしれません。

形のあるものより、形のない物の方が信じられることがあります。それは、たぶん皆さんも経験しているはずです。友情や愛情は形がないけれど、信じられるものの一つです。上手に言えないけど、心の中にある純粋で混じりけのない思いというものは、時を超えて場所を超えて、伝わるのだと思います。

まぁ、こういうことを私は自分のオリジナルソングで書いたのですけど、作詞のベースは般若心経だったりします。いつかまた、どこかで披露したいと思います。

とりとめもなくなってきたので、今日はこのへんで許してあげる。